I wish…

乳がん闘病、読書記録、好きなものたち

夏の思い出

2021年8月、単身赴任中の夫が一時帰国した。
到着後すぐに国の統括する隔離施設で3日間の隔離を経て、1年5か月ぶりの再会。

公共機関は利用できないので、子供たちと車で迎えに行った。
成田空港はもぬけの殻のように、廃墟とまではいかなくとも警察官やスタッフのみ。
ごくわずかの利用客がちらちらいるだけ。
これが空港…?と思わんばかりの風景だった。

夫が帰ることが決まってからも書類手続き、
PCR検査や実際に飛行機が飛ぶまで試練があり子供たちも私も到着するまでは大きく期待しないようにいようと心で思っていた。

無事に再会できた時は、勝手に涙があふれた。
いろんな感情がぐじゃぐじゃだった。
会いたかった、大変だった、不安だった、心配だった、嬉しい…
この1年5か月の間に、私に乳がんがみつかり、決断し、手術をし、抗がん剤をし、再建手術までしたのだ。
胸を失うとは思わず別れたあの日からようやく会えたのだ。
画面越しでない父親の姿に子供達も本当はずっと会いたかったんだって実感した。


「よく頑張ったね」と言ってくれた 
一緒に住んでいなくてもたくさん支えてくれてることは理解していたけど、
一緒にいることの重要さをとても感じた一時帰国だった。


なぜなら…

  • 子供たちが父親にべったり(母、解放される)
  • 父親のいうことを聞く(母、驚き)
  • 気を遣わず頼れる大人が自分以外にいる(母、感動)


父親がいる子育てってこんなに楽なの?って何度も思った。
心配性なのか、子供たちは私がトイレに行ってもママ?ママどこー?って聞く。
すぐ近くの公園で遊んできなっていっても、子供たちだけでは絶対行かない。。
私が一緒に行くしかない…
日本で暮らしていたほうが便利だったり安心することもあるけど、
父親と一緒にいると私とは違う価値観で子育てするからその影響は大きい。


約一か月、一緒に過ごせてとても有意義だった。
家族水入らずで旅行もできた。
小規模のホテルや旅館、部屋食のホテルや旅館をできる限り探し、
お昼はコンビニ飯を車で食べたり感染対策をしながら。
(それも子供たちからしたらイレギュラーで楽しかったみたい^^)
日本にいたとき普段夏はキャンプの我が家、この時期のホテル旅行なんて普段しないから夏休み価格に驚愕だった。。(2年分の鬱憤晴らしだ~!!!!!)


私は手術後、初めての旅行。
はじめは温泉には入りたいけども周りの目が気になって露天風呂付の部屋でないと無理…って思っていたけど、コロナ禍ということもあり混雑していなかったせいか、共同のお風呂にも入ることができた。
主治医の先生は正面から見たときに傷跡が見えないよう、脇下側を切ってくれていた。
そのおかげかはわからないが、人は自分が思ってるほど、周りを見ていないとわかった(笑)

ただ、私の髪は今とても短い。
ベリーショートよりもベリーベリーくらい短い。
普段はウィッグをつけているが、お風呂でウィッグは無理だ。
お風呂であった人に食事処であったら、おかしいんじゃないかとか考えてしまったり。。
(自意識過剰かってくらい周りの目が気になってしまう)
結局ホテルではウィッグなしのベリーベリーショートで過ごした。

病気になってから、今後自分も気を付けようと思ったことがある。
それはお友達や周り人の急なビジュアルの変化にもあまり食いつきすぎないこと。
イメチェンとして急に髪を短くする人がほとんどかと思うけど、私のように治療でやむを得ず髪が抜けることもある。
抗がん剤前に長かった髪を短くしたら、やっぱり髪を短くしたの??ってよく言われて「そうなの~」って言ってたけど、内心は複雑だった。

以前の私もそんな気配りができずに急に短くしたお友達がいたら、そう言っていたと思う。
いろいろ抱えて生きている人は知らないだけでたくさんいるはず。
もっと人のことを考えた発言、行動をしたいなって思うようになった。

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富士山を見ないと日本に帰ってきた気がしないと夫

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河口湖湖畔のホテルから

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西伊豆の旅館から

乳がん #家族旅行 #単身赴任 #富士山